HOME >> ご利益

ご利益

ご利益

菊の御紋 厄除け・健康長寿 学業 交通安全 縁結び 開運

■隠岐神社と海士町の神社の三つの運

隠岐神社並びにをはじめとする海士の神社で御祈祷を受けるためには、三つの運に恵まれなくてはなりません。
第一は、健康であること。
第二は、家族に不安がないこと。
第三は、天候に恵まれること。
この三つが揃ってはじめて神前に進むことができます。申込ながらもお参りできない方もおります。これを乗り越えてお参りの方は、一組ずつ祈祷を行います。
御祈祷を受けられた後、隠岐神社の境内に一本ある大王松の三つ葉の松葉を拾って帰ると願いがかなうと言われています。
▲トップへ

■菊の御紋の起源



後鳥羽天皇は皇室の伝統に大きな影響を与えられたことから、大正天皇、昭和天皇はこれを讃えて海士町に行啓されました。
また隠岐神社が創建されてからは、今上陛下皇后陛下、皇太子殿下をはじめ皇族方が神社に御親拝されました。
後鳥羽天皇の御神徳は、日本の文化・伝統の中に力強く生きています。そして、後鳥羽天皇が起源とされる皇室の菊の御紋とともに、将来にわたり讃えられることでしょう。
※皇室の菊の御紋の初見は、後鳥羽天皇の命令によりつくられた刀剣「菊御作(きくごさく)」に刻まれたものです。
▲トップへ

■厄除け・健康長寿



後鳥羽天皇は、京の都から国境の島の隠岐にうつるという、波乱にとんだ御生涯でした。
しかしいかなる時も、伝統文化を大切にし、精力的に活躍されました。
承久の乱に敗れたとはいえ、その活力が失われなかったのは、天皇の精神力とそれを支える鍛錬された御身体があったからこそでしょう。
あらゆる困難を祓い、健康に生きる。隠岐神社にお参りする人は絶えません。
▲トップへ

■学業の神



後鳥羽天皇が和歌の道を初め、音楽、剣術、弓術、水練などの諸芸に秀でておられたのは有名であります。
これらは当時最高の学問でもあり、皆これを競っていましたが、後鳥羽天皇は常に特別の才能を発揮されていたようであります。
歴史を知っている方は学業の神様といえば後鳥羽天皇と、わざわざ来島される方が年々増えています。
▲トップへ

■交通安全の神



後鳥羽天皇は、今から800年も前、京都からこの隠岐まで無事に旅をしてこられました。
当時は陸路でも十分に整備されておらず、なおかつ、島根半島と隠岐を隔てる約60キロの海を無事にわたってくることは至難の業でした。わずか数名の家来を引き連れ、様々な困難を乗り越えつつ隠岐に来られたのは、まさに天の導きがあってこそだといえます。
初めて隠岐に来られた天皇さまでもあり、陸路・海路の神様として讃えられます。
▲トップへ

■縁結びの神



後鳥羽天皇は和歌に特に力を注がれました。勅撰和歌集『新古今和歌集』は後鳥羽天皇の命令によるものです。また、和歌の会を多く催し、それは現在も皇室行事の歌会始などの形で続けられています。
古より、見染めた相手に歌を贈ることは、自分の気持ちを伝える方法でした。
男女の間の微妙な気持ちを感じ取る力をもつ神様であります。
▲トップへ

■開運の神



後鳥羽天皇は国のありかたに明確なビジョンをもっておられました。その中には、伝統を厳修する一方、当時としては急進的な試みもあったようですが、御自ら文化・芸能に親しみ、後々の文化史に大きな影響を与えられました。
自ら進んで道を開く、開運の神様であります。
この御神徳は、テレビで何度も紹介される海士町の町興しの精神にも活かされております。
島を訪れた方は公私を問わず、開運と事業の成功を期して隠岐神社にお参りされます。
▲トップへ