隠岐神社のとなりに、後鳥羽天皇の御遺骨の一部を納めた「御火葬塚(ごかそうづか)」があります。
もともとは、後鳥羽天皇の隠岐でのお住まいであった、真言宗の源福寺(げんぷくじ)の境内でした。このお寺は、明治初期に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、別の場所への移転を余儀なくされますが、後鳥羽天皇の神霊をおまつりしたとされる祠(ほこら)は残されました。
その後、この祠より後鳥羽天皇の神霊が大阪の水無瀬神宮にうつされたことにより、祠は取り払われ、その調査が行われます。この際、祠の土台の部分から、後鳥羽天皇のものとされる御遺灰などが発見されたことにより、宮内省は御陵に准ずる扱いとします。
現在は廟(りっぱなお墓)が建てられています。